土風炉師・永楽家の11代目善五郎を継いだ保全は、色絵の茶陶や中国陶磁などにも作風を広げてゆき、また同時に紀州徳川家の御庭焼をはじめ大津・高槻などでも新たな窯を築いて活動した。
この作品は京狩野家の狩野永岳によって染付の絵付けがされている。狩野永岳は保全が絵を学んだ人物である。米俵の形に白化粧を荒く塗っており、外側の俵の絵付けには『福・寿』の文字。高台内に『大日本永楽造』の染付銘が入れられ、またその脇に『河濱支流』の印を捺す。内側には稲穂に群れる雀が描かれており、米俵に内包された世界が垣間見てとれるようである。
狩野永岳の『一百二十十二之半翁 狩野縫殿助(花押)』の落款はおそらく、『(100+2+10+10+2)÷2(「半」翁)』で永岳62歳の時であると思われる。つまり1851年を示しているが、保全の長男・和全が翌年の壬子(1852年)の新春に箱書きをしており、辻褄が合う。「雲凋舎」なる人物(不詳)へ贈るために箱を新調したようである。また箱側面には17代善五郎が極め書きを加えている。
保全晩年の優品であり、料理でも茶席での菓子鉢でも盛り付けの色がよく映えるであろう。秋の収穫の時期のほか新春・小正月にも活躍できる逸品である。
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